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懐かしの恩師へのインタビュー vol.2

お名前:福田 隆 先生(ふくだたかし)
プロフィール
    昭和42年2月〜昭和55年 天王寺高校で体育科を担当
    現在 大阪体育協会事務局長

5月10日(水)大阪府立体育館内にある大阪体育協会を訪れ、
福田先生にお話をお伺いしました。

<インタビュアー>
天高23期 中村早雪(現天王寺高校家庭科講師)
天高23期 福田芳枝(元私立中学、高校講師)



中村 昨年11月29日の天高23期同窓会以来ですが、お元気ですか。  
先生には、お忙しいのに毎回同窓会に出席いただき感謝しています。
福田 私は、今年2月に大阪府立泉北考古資料館にお伺いしましたが、その後すぐに転勤されて、
ビックリしました。資料館にいらしたのは1年だけですか。
天高で勤められた後はどちらに行かれたのですか。
福田先生 そう、1年で、この体育協会に変わってきたんです。
昭和55年に天高から府教委へ、昭和61年4月に今宮定時制高校教頭、平成2年4月に
河南高校教頭、平成5年4月に羽曳野高校校長、そして最後は平成8年4月に母校の
富田林高校校長。富高に3年いて、平成11年3月に定年退職しました。

その後、府立泉北考古資料館館長を1年、そしてこの4月にここ大阪体育協会の事務局長にと
辞令をいただいたのです。
中村 最後は富田林高校だったんですね。先生は富高の何期生ですか。
福田先生   富高の9期生です。
福田 9期生というと私たちより14歳年上ですね。
天高で教えていただいていたときは、先生は・・・
福田先生 30歳ぐらいかな。昭和42年2月11日という年度途中の異例の辞令で、茨木高校から
転勤してきたのです。天高では13年勤めました。
中村 案外短かったんですね。存在感が大きいのでもっと長くいらしたかと思っていました。
天高や、天高生についておきかせください。
福田先生 天高生の母校愛はNO.1ですね。よく言うんですが、
「自分の母校は自分の意思では変えられない」
だからこそ、母校に誇りを持ち、大切にしないといけないと思うんですが、
その点、天高生はピカイチです。

また、私は、天高生は悪い釣鐘だという話をよくします。
たたいたとき、音は大きいけれど、いつまでも響かないんです。
余韻を残さない。つまり、行事など、やるときには思い切りやる、
そしてパッと頭の切り替えをして、次の日にはまた思い切り勉強に取り組むんです。
その切り替え方が他の学校とは随分違う。
たたいて大きい音を出す釣鐘はいっぱいあるんですが、すぐ響かなくなる悪い悪い釣鐘は
他にありません。

また、天高の先生方はよく勉強されている。生徒も熱心、先生も熱心な学校です。
福田 先生は体育指導、クラブ指導を通じて私たちにいろいろな事を教えてくださいました。
福田先生 私が常々部活動において生徒に言ってきたのは、「練習は自分のために、試合はチームのために」
ということです。これは、私のモットーです。
中村 昔と今では世の中が変わってきましたがどうでしょう。
福田先生 全てがという訳ではありませんが、『世のため人のためから、個人のため』という風潮に
なってきています。残念ですが仕方ありません。
それに、学校においては、授業を大切にしてほしいですね。
中村 天高生は、1,2年生では塾へ行ってる子も少なく、今でも授業に対しては熱心です。
また、切り替えのほうも早いと思います。
福田先生 今もやっぱり悪い釣鐘ということですね。それが天高生です。
彼らも君たちのように、卒業してはじめて、天高のよさがわかるでしょう。
福田 先生、今日は楽しいお話ありがとうございました。
また、来年の同窓会でお目にかかれるのを、学年一同楽しみにしております。
どうかお元気でご活躍ください。